学園だより

学園歳時記【さつき第5号】〜桐蔭席での稽古茶事(学生の手記より)

平成24年5月16日(水)
5月16日(水)、研究科春期3か月コースは、桐蔭席にて稽古茶事をさせていただきました。それぞれが亭主、半東、水屋、客に分かれ、実際の正午茶事の流れに沿った稽古。歴史ある桐蔭席という空間に一同が大変恐縮し緊張しながらも、先生のご指導と茶道科3年生の協力を得つつ無事に終えることができました。

当日は露地の緑が美しい素晴らしい天気でした。初座では仄かに明るい茶室の中で澄んだ空気とホトトギスの声を味わい、御簾が巻き上げられた後座では障子に映る優しい緑の光に包まれながら、ゆったりとお茶をいただきました。珠玉の時間とはこういうものなのだとしみじみ思いました。とても幸せな時間を過ごし帰ってきたとき、残念に思い反省したのは、やはり自分自身のことです。「正客の役割をいただいた自分が色々なことに気付いていれば、もっと充実した時間にすることができたかもしれない・・・」
4月に入学してから、至らない自分をもどかしく思いながらの学びの毎日。よく思い返す韓国語の言葉があります。茶事を終えたばかりの私は、またその言葉を思い出しました。
「“아는 만큼 들린다.”(知っている分だけ聞こえてくる)――単なる音声でしかなかったものが、文法を学び、単語を覚え、初めて意味をもった『ことば』として聞こえてくる。同じように何かを学ぶということは、聞き方や見方すなわち『視線』を手に入れること」なのだと、留学先の韓国語の先生が教えてくださいました。
いにしえの歴史が守り受け継がれている京都に暮らし、素晴らしい先生方の視線に毎日出会うことができる幸せな今。とはいえ「知っている分だけ聞こえてくる」とするならば、これまで自分が積み重ねてきたものが足りないがために、見えず、聞こえず、学び落としてしまっているものが沢山あるのだろうと思うと、いたたまれない気持ちになります。そんなとき、韓国語の先生からいただいたもうひとつの言葉を思い出します。「“고리고 마음은 열어 있어야 돼.”(そして心は開いていなくてはいけない)――身体がひどく疲れていたり、心が閉じてしまっていたりすると、聞こえるはずのものまで聞こえてこない。だから健康を管理し、心を整えていくこともとても大切です」。
至らない今の自分がどんなに慌てても、身に付いていない視線をいきなり手に入れることは叶いません。けれども、だからこそ健康を管理し、こころをできる限り整え、学園での幸せな日々を大切に過ごしていきたいと思っています。
 
研究科春期3か月コース 長岡絵美子

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